第三次世界大戦筆録

第三次世界大戦の様子をまとめたものです(創作です)

第三次世界大戦「再戦」2165-2167

 2165年2月14日明朝、EA連合が三国同盟に宣戦布告。ギリシャベラルーシルーマニア、ドイツ、インドが侵攻を開始。ある程度戦線は広がったが補給路が悪く戦線が停滞した。唯一インドは戦線が一つしかなかったため兵士の三分の二を動員し補給問題は5年の間に悪路でも走れる補給車両を製造していたのでアゼルバイジャン戦線を一週間で400kmも広げた。ドイツに対して反抗していたフランスは三国同盟に入った。3月28日、フランスは正式な宣戦布告なしにドイツへ攻撃を開始。急襲によりドイツは戦線が崩壊しジリジリと撤退していった。結果ベルギーから撤退。フランス軍は束の間の勝利に酔いしれた。フランスはさらに元々フランスがドイツから国を守るために建設したマジノ線を奪還することを試みて同月29日に戦車の機動大隊を動員した。しかし結果は惨敗。士気だけを頼りに物量でゴリ押そうとしたことがフランスの敗因だった。4月3日ドイツはグランエスト全域を再占領。さらにオードフランスを占領。ベルギーにいたフランスの主力軍を丸々包囲した。しかし主力軍。あまりの猛攻にオードフランスを奪還された。しかしドイツ軍はベルギーを再び手中に収めた。主力軍が疲弊している中ギリシャ配下のイタリアがフランスに侵攻。マルセイユやリヨンを領土に組み込み、フランスはEAの下に着くことで終戦を迎えた。

 2165年11月3日アメリカに雪が降る。社会主義アメリカ連邦はアメリカに対して宣戦布告。アメリカはベルリン会議により戦争ができないため一方的に西海岸を占領された。

 2166年1月4日。ギリシャは単独でソ連との戦闘を再開。ドネツクにいた守備隊1万人以上を包囲した。さらに敵軍を各個撃破し、旧ウクライナ領を占領。ソ連は単独講話を申し出て、ギリシャはこれを承諾。条件はソ連とインド、ドイツの戦争に関わらないことである。2166年2月12日、ギリシャは周辺に敵対国がいないため他国より一足早く終戦を迎えた。終戦ギリシャは傀儡国よりの独立国としてウクライナ地域を独立させ、植民地政策に乗り出した。また、産業では戦時中自国で使用・生産していた武器をドイツやインドに供与することで利益を得ていた。

 

・北方連合
・スペイン
ソ連(一年間休戦)
中立
・日本
・中国
・ロシア共和国
・フィリピン
(イギリス)
EA連合
・ドイツ
・インド
(フランス)

第三次世界大戦「休戦」 2160-2165

2160年2月2日ギリシャモザンビークを植民地とした。各国は疲弊しており特に規制はされなかった。

2160年2月14日、戦線の停滞と国力の疲弊により世界各国が休戦協定を結ぶことを提案した。各国はこれに同意し全世界で休戦協定が結ばれた。休戦の内容は以下の通りである。

①EA連合は休戦期間中領土を広げてはならない。休戦期間中の加入国は認めない。

三国同盟にはスペインの加入を認める。スエズ運河国際海峡とすることを認める。

③協商同盟は解体する。三国同盟・EA連合への加入は認める。

さらに2160年3月19日、ドイツのベルリンにてベルリン会議が開催された。決まったことは以下の通りである。

①ドイツはドイツ周辺国の一部を除いて現在のドイツ領を独立させる。

②日本はこれ以上南方に侵攻せず、インドに対して攻撃しない。

アメリカは共産主義アメリカ連邦に対して攻撃しない。

④フランスは永世中立を宣言する。

⑤これ以上ギリシャ本土を拡大しない。

これら全ての書類の有効期限は2165年2月14日とされた。

この期間で何をするかで休戦後の戦力が変化することは各国が黙認していたので戦争は続いている。

 ドイツは2161年1月4日、周辺国の一部を独立させた。またパリをフランスに帰属させた。

ヨーロッパ地図

独立した国
ハンガリー(紫)
ルーマニア(黄)
ベラルーシ(緑)

 

 

 2161年2月11日ソ連三国同盟の準加盟国になることを世界に発信した。日本、アメリカ、北方連合が三国同盟のG3になり、準加盟国がスペイン、ソ連となった。

 各国は軍拡を進めていたが日本、アメリカだけは違った。民主主義のためこれ以上軍を拡大できなくなったのだ。2162年9月末ここで日本が永久中立をEAに申請した。EAはこれを受諾。ここで日本は一足先に終戦を迎えたのである。日本はインドネシアベトナム、フィリピンを独立、中国湾岸部を100年間租借した。

 2164年、フランスがベルリン会議の条約に従わなかったことに苛立ちを募らせたアメリカ、ドイツが最後通告をフランスに突きつけた。フランスはのらりくらりと話を逸らし、中立は宣言したが永世中立は宣言しなかった。この結果に各国は不満を抱いた。どちらにせよ2165年2月14日に休戦協定の有効期限が切れるということで各国は軍部の調整に入った。

現在の地図

アメリ
・北方連合
・スペイン
中立
・日本
・中国
・ロシア共和国
・フィリピン
(フランス)
(イギリス)
社会主義アメリカ連邦w)
EA連合
・ドイツ
・インド

第三次世界大戦後期「新陣営」2159-2160

  2159年11月22日、ギリシャルーマニアに対しブルガリア南部の割譲を要求。しかし当然ルーマニアはこれを拒否。全面侵攻が開始された。12月6日には首都に迫る勢いで戦線を押し進めていた。さらに12月11日ドイツはルーマニアに宣戦布告。ドイツはソ連領を通りモルドバ方面から進軍。北方に配置していた防衛軍が包囲されるとブルガリアは降伏。12月19日の出来事である。ギリシャは旧ブルガリア領を、ドイツはルーマニア領を領土とした。さらにギリシャとドイツはイギリスに対して不可侵条約を持ちかけ旧ポルトガルをドイツへ、ジブラルタルギリシャへ譲渡させた。

 2160年1月1日正月気分が抜けきっていない世界に一報が届いた。ドイツ、ギリシャ、インドが新陣営である「Erde Alliance」(通称EA)を立ち上げたのである。この知らせは世界を震撼させた。同時期にイタリアによっていたアメリカ海軍大西洋艦隊が丸ごとギリシャ帝国海軍に包囲され殲滅。アメリカ海軍は痛手を負い、大西洋にアメリカ海軍旗がはためくまで4年はかかるだろう。

 イタリアはEAからの侵攻を恐れスペイン、フランスと軍事同盟を2160年1月12日に締結。しかしそれがイギリスによって暴露されドイツとギリシャがイタリアに対して宣戦布告。ギリシャ海軍第一艦隊がイタリアの連合艦隊と接敵。ギリシャ海軍は空母4、戦艦8、巡洋艦11。イタリア海軍は空母3、戦艦10、巡洋艦21。巡洋艦や戦艦の差はあったがギリシャ海軍の手腕が勝りイタリア海軍は全滅した。2160年1月19日、地中海の制海権はほとんどギリシャが確保していた。20日朝3時、囮のギリシャ陸軍300名(ロボット含む)がイタリアの首都ローマに上陸。橋頭堡を確保することに成功した。これに動揺したイタリア皇帝だったが揺動だと思いギリシャ戦線の兵士は動かなかった。ギリシャ海軍は第二フェーズに進行。ギリシャ全軍の3分の1を上陸させた。主力軍は南下を開始。ギリシャ陸軍を海へ叩き落とそうと対ギリシャ国境の兵士を引き抜こうとしたが南下を開始した直後グラーツからドイツ軍機動隊が旧スロベニア領を占領。まともに相手もできず包囲されイタリアは2160年2月4日無条件降伏した。ギリシャはローマより南を中核領地とし、それより北を傀儡国とした。ドイツは旧スロベニアクロアチアを領土に組み込んだ。

 情勢はEAに傾きつつある。これを感じたスペインとフランスは中立という立場をやめ条件付きで降伏した。フランスはこれ以上の領土を損失すると滅びることが明確だったため特に規制は付かず、スペインはジブラルタル周辺をギリシャに割譲した。

 ソ連ギリシャとの関係改善を図るためロストフ・ナ・ドヌーとクリミア半島ギリシャに割譲した。

 その頃日本は南下政策をおこなっており、インドネシアまで占領していた。

現在の地図

 

 

・日本
アメリ
(北方連合)
協商同盟
・イギリス
中立
・中国
・ロシア共和国
(フランス)
(スペイン)
EA連合
・ドイツ
・インド

 

第三次世界大戦筆録03 「反転攻撃」2157-2159

   ユーゴスラビアが消えて1ヶ月。2157年9月にソ連オスマン、インドが公式にロシア共和国への侵攻を開始。ロシア共和国は全軍を中国戦線に回していた影響で防衛が遅れ想定の防衛ラインが一瞬にして破られた。特にオスマンソ連の侵攻スピードは驚異的で10日もかからずに首都近辺の街チュメニが包囲されロシア共和国の情勢は一気に劣勢に傾いた。しかし協力がまばらであったため領土の取り合いによりオスマンとインドで戦争が始まる。インドは三国同盟に入ることを条件に対オスマン攻撃ラインへの全面介入を要請。二方面作戦を迫られており、このままでは滅んでしまうロシア共和国は全力で承諾(懇願?)しオスマンへの全面侵攻を開始。しかしそれをソ連が許すはずもなく戦争はかなりの混戦となった。ロシア共和国の首都目前にある都市クルガンでは徹底抗戦が命令されその土地を死守するため市民まで戦争に参加していくという地獄の形相となっていた。オスマンでは臨時首都のテヘラン近郊、エスラムシャーまでインド軍が浸透。アーモルではロシア共和国軍が軍管理基地への爆撃を行なっていた。これを受けてオスマンは首都をテヘランに遷都して徹底抗戦の構えを見せたが幹部が移動している時に高速道路にミサイルが直撃。全員が重傷を負い政府機関の再構築に時間がかかることが予想されオスマンは降伏した。しかし同時期に首都からの情報が届かなくなっていたオスマン軍がロシア共和国の首都を包囲したのである。首脳陣は地下壕を通ってコルミロフカに移動。首脳陣が逃げたことが伝わるとロシア共和国軍兵士の指揮は低下し結果的になぜかソ連に対して降伏。ジリジリと撤退していった。

 休戦協定ではクラスノヤルスクまでの領土はソ連編入された。ロシア共和国は首都をできるだけソ連国境から遠ざけたかったためウラジオストクを首都に設定した。そして三国同盟からの脱退を決定。後任に何気に最近領土を広げスエズ運河までを領土としているギリシャ帝国を推薦。ドイツは近隣国が強豪となってしまうため猛反発したが日本とアメリカがスエズ運河の通行権を得ることによる利点が大きかったためドイツの要求を無視。ドイツは三国同盟を抜けることを発表した。がしかし、その後ドイツはギリシャと秘密裏に協定を結んでおり、不可侵条約と侵攻に関する議定書が含まれていた。ここに三国同盟の基礎は崩れていく。

第三次世界大戦筆録02 「電撃戦」2156-2157

 2156年5月11日 日本国は今や社会主義アメリカ連邦国領となったハワイ州に航空機150機と空母、12隻のミサイル護衛艦、後発に上陸部隊2万人以上を動員。朝鮮半島では国境付近に50万人近くを配置。空母やイージス搭載型巡洋艦は横須賀にいたことから社会主義連邦の傘下とならなかったためアメリ社会主義連邦にとって大きな痛手となった。その二週間後に日本軍がハワイの都市ホノルルに上陸。圧倒的な物量(本土上陸部隊含む)に押されて一週間後にはハワイ防衛軍は降伏した。さらに1ヶ月後には本隊がアメリ社会主義連邦の首都であるカルフォルニアに上陸。しかし上陸作戦は失敗する。それでも粘ってアメリカのオレゴン州に避難しネバダ州を占領。しかし反乱が起き日本軍は包囲されハワイのホノルルに撤退した。アメリ社会主義連邦の機動的な降伏に失敗した日本は現在の戦況に焦りを感じ協商同盟に加盟しており、敵対している中国へ侵攻を開始。ハワイに動員していた先ほどの空母群を上海近海に停泊させ制空権を確保。さらに上陸に成功した。それに合わせてロシア共和国が中国に対して侵攻を開始。内モンゴル黒龍江省、シンジャン州まで領土を広げることに成功。日本は北京郊外を占領、主力軍を包囲した。2156年10月2日、想定より早く中国は降伏した。中国の沿岸部は日本、北部と西部はロシア共和国が300年租借することになった。上海は日本の領土に編入された。さらに中国が降伏する直前に宣戦布告したインドはシザンを占拠。中国は終戦のショックで流れるように承諾。インドはシザンを占領地とした。

 2156年12月10日、横二つの大国が敵対状態となり迷っていたドイツは突如ベルギーに侵攻。そのまま南下してフランスの北部を占領し流れる水のようにグランドエスト州を占領。さらにドイツのほぼ全軍で侵攻を再び開始。堪えきれなかったフランスは一時休戦を求め、兵士が疲弊し侵攻速度が鈍ってきていたドイツはそれを受諾。北方を占領した。イタリアはコルセを直轄地とした。(さっきから出てくる地名どこだよって思ってるよね?googleで調べてみな?)

 2157年3月、スウェーデンとドイツは同時刻にソ連に宣戦布告。先程までフランスにいたドイツの主力軍はこの時のために東部前線に移動しており万全の状態だった。スウェーデンは北方領を取り返すという大義名分のもと国民は意欲に燃えており指揮は非常に高かった。4月中期には旧ベラルーシを占領。スウェーデンはムルマンスクの防衛隊をまるまる包囲し一部を兵糧戦に持ち込んだ。しかしソ連は南部戦線のドイツ軍の少なかった地点を突破。急に前線が破れたことで指揮系統にダメージが入りドイツはベラルーシリトアニアを除くすべての都市から撤退を決定。スウェーデンはドイツが撤退した次の日に停戦条約を結んだ。ここに三国同盟の電撃的な侵攻は停止した。

 2157年4月いつの間にかソ連に対して宣戦布告していたギリシャは世界中の専門家の想像に反して快進撃を続けソ連領旧トルコをすべて占領、停戦手続きを行なった。さらに6月、ユーゴスラビアに対し宣戦布告。イタリアも宣戦布告した。二つの国から侵攻されたユーゴスラビアは2ヶ月もせずに降伏。国力の低いギリシャは南部、中部を直轄地とし、イタリアは北部を直轄地とした。2157年8月、地図からユーゴスラビアは消滅した。

第三次世界大戦筆録01 「赤に染まる」2151-2156-

 2152年10月22日共産主義者がサンフランシスコで反乱を起こしカルフォルニア州、ネバダ州を占領した。アメリカ軍の基地も占拠されたため米軍は機動的に制圧ができず撤退。翌週にはユタ州の都市ソルト・レーク・シティを占拠し、アメリ社会主義連邦国の建国を宣言した。アメリ社会主義連邦国はアリゾナ州ユタ州ネバダ州、カルフォルニア州、ハワイ州を国として主張した。その後21531123日、アメリ社会主義連邦国が設立された。

 この状況を静観していたロシア共和国(この世界線では共和化しています)は共産主義者の反乱を恐れるあまり共産主義者の粛清を開始。しかしこの政策は大失敗し、2153年10月21日首都モスクワにて反乱が発生。エネルギー省と内務省財務省が占領され、大統領が人質となり、政府機関とシステムが完全に停止したためロシア共和国はソ連の休戦の申し入れを受諾。カザンからモスクワ、サンクト・ペテルブルク、ムルマンスクをソ連として2154年2月3日に独立した。2154年2月14日ロシア共和国は臨時首都をオムスクに遷都し、カザフスタンを外交にて併合。新ロシア共和国がここに完成した。

世界はこの数年で大きく変化することになった。二代巨頭だったアメリカとロシアが失墜したのだ。これを受けて各国間の協力が必要不可欠であると各国は考えついた。しかしこれは世界平和とはかけ離れたものとなった。巨大同盟が二つできたのである。一つは三国同盟で加盟国は日本国、アメリカ合衆国、ロシア共和国で準加盟国としてドイツやギリシャスウェーデンヘタリアが加盟した。対する同盟は協商同盟でインド連邦、オスマン諸国、フランス、イギリス、ソ連、中国などが加盟した。

この世界の共産化はすでに始まっている。