第三次世界大戦後期「新陣営」2159-2160
2159年11月22日、ギリシャはルーマニアに対しブルガリア南部の割譲を要求。しかし当然ルーマニアはこれを拒否。全面侵攻が開始された。12月6日には首都に迫る勢いで戦線を押し進めていた。さらに12月11日ドイツはルーマニアに宣戦布告。ドイツはソ連領を通りモルドバ方面から進軍。北方に配置していた防衛軍が包囲されるとブルガリアは降伏。12月19日の出来事である。ギリシャは旧ブルガリア領を、ドイツはルーマニア領を領土とした。さらにギリシャとドイツはイギリスに対して不可侵条約を持ちかけ旧ポルトガルをドイツへ、ジブラルタルをギリシャへ譲渡させた。
2160年1月1日正月気分が抜けきっていない世界に一報が届いた。ドイツ、ギリシャ、インドが新陣営である「Erde Alliance」(通称EA)を立ち上げたのである。この知らせは世界を震撼させた。同時期にイタリアによっていたアメリカ海軍大西洋艦隊が丸ごとギリシャ帝国海軍に包囲され殲滅。アメリカ海軍は痛手を負い、大西洋にアメリカ海軍旗がはためくまで4年はかかるだろう。
イタリアはEAからの侵攻を恐れスペイン、フランスと軍事同盟を2160年1月12日に締結。しかしそれがイギリスによって暴露されドイツとギリシャがイタリアに対して宣戦布告。ギリシャ海軍第一艦隊がイタリアの連合艦隊と接敵。ギリシャ海軍は空母4、戦艦8、巡洋艦11。イタリア海軍は空母3、戦艦10、巡洋艦21。巡洋艦や戦艦の差はあったがギリシャ海軍の手腕が勝りイタリア海軍は全滅した。2160年1月19日、地中海の制海権はほとんどギリシャが確保していた。20日朝3時、囮のギリシャ陸軍300名(ロボット含む)がイタリアの首都ローマに上陸。橋頭堡を確保することに成功した。これに動揺したイタリア皇帝だったが揺動だと思いギリシャ戦線の兵士は動かなかった。ギリシャ海軍は第二フェーズに進行。ギリシャ全軍の3分の1を上陸させた。主力軍は南下を開始。ギリシャ陸軍を海へ叩き落とそうと対ギリシャ国境の兵士を引き抜こうとしたが南下を開始した直後グラーツからドイツ軍機動隊が旧スロベニア領を占領。まともに相手もできず包囲されイタリアは2160年2月4日無条件降伏した。ギリシャはローマより南を中核領地とし、それより北を傀儡国とした。ドイツは旧スロベニア、クロアチアを領土に組み込んだ。
情勢はEAに傾きつつある。これを感じたスペインとフランスは中立という立場をやめ条件付きで降伏した。フランスはこれ以上の領土を損失すると滅びることが明確だったため特に規制は付かず、スペインはジブラルタル周辺をギリシャに割譲した。
ソ連はギリシャとの関係改善を図るためロストフ・ナ・ドヌーとクリミア半島をギリシャに割譲した。
その頃日本は南下政策をおこなっており、インドネシアまで占領していた。
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