2160年2月2日ギリシャはモザンビークを植民地とした。各国は疲弊しており特に規制はされなかった。
2160年2月14日、戦線の停滞と国力の疲弊により世界各国が休戦協定を結ぶことを提案した。各国はこれに同意し全世界で休戦協定が結ばれた。休戦の内容は以下の通りである。
①EA連合は休戦期間中領土を広げてはならない。休戦期間中の加入国は認めない。
②三国同盟にはスペインの加入を認める。スエズ運河を国際海峡とすることを認める。
③協商同盟は解体する。三国同盟・EA連合への加入は認める。
さらに2160年3月19日、ドイツのベルリンにてベルリン会議が開催された。決まったことは以下の通りである。
①ドイツはドイツ周辺国の一部を除いて現在のドイツ領を独立させる。
②日本はこれ以上南方に侵攻せず、インドに対して攻撃しない。
④フランスは永世中立を宣言する。
⑤これ以上ギリシャ本土を拡大しない。
これら全ての書類の有効期限は2165年2月14日とされた。
この期間で何をするかで休戦後の戦力が変化することは各国が黙認していたので戦争は続いている。
ドイツは2161年1月4日、周辺国の一部を独立させた。またパリをフランスに帰属させた。
ヨーロッパ地図
2161年2月11日ソ連が三国同盟の準加盟国になることを世界に発信した。日本、アメリカ、北方連合が三国同盟のG3になり、準加盟国がスペイン、ソ連となった。
各国は軍拡を進めていたが日本、アメリカだけは違った。民主主義のためこれ以上軍を拡大できなくなったのだ。2162年9月末ここで日本が永久中立をEAに申請した。EAはこれを受諾。ここで日本は一足先に終戦を迎えたのである。日本はインドネシア、ベトナム、フィリピンを独立、中国湾岸部を100年間租借した。
2164年、フランスがベルリン会議の条約に従わなかったことに苛立ちを募らせたアメリカ、ドイツが最後通告をフランスに突きつけた。フランスはのらりくらりと話を逸らし、中立は宣言したが永世中立は宣言しなかった。この結果に各国は不満を抱いた。どちらにせよ2165年2月14日に休戦協定の有効期限が切れるということで各国は軍部の調整に入った。
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