第三次世界大戦筆録

第三次世界大戦の様子をまとめたものです(創作です)

第三次世界大戦筆録03 「反転攻撃」2157-2159

   ユーゴスラビアが消えて1ヶ月。2157年9月にソ連オスマン、インドが公式にロシア共和国への侵攻を開始。ロシア共和国は全軍を中国戦線に回していた影響で防衛が遅れ想定の防衛ラインが一瞬にして破られた。特にオスマンソ連の侵攻スピードは驚異的で10日もかからずに首都近辺の街チュメニが包囲されロシア共和国の情勢は一気に劣勢に傾いた。しかし協力がまばらであったため領土の取り合いによりオスマンとインドで戦争が始まる。インドは三国同盟に入ることを条件に対オスマン攻撃ラインへの全面介入を要請。二方面作戦を迫られており、このままでは滅んでしまうロシア共和国は全力で承諾(懇願?)しオスマンへの全面侵攻を開始。しかしそれをソ連が許すはずもなく戦争はかなりの混戦となった。ロシア共和国の首都目前にある都市クルガンでは徹底抗戦が命令されその土地を死守するため市民まで戦争に参加していくという地獄の形相となっていた。オスマンでは臨時首都のテヘラン近郊、エスラムシャーまでインド軍が浸透。アーモルではロシア共和国軍が軍管理基地への爆撃を行なっていた。これを受けてオスマンは首都をテヘランに遷都して徹底抗戦の構えを見せたが幹部が移動している時に高速道路にミサイルが直撃。全員が重傷を負い政府機関の再構築に時間がかかることが予想されオスマンは降伏した。しかし同時期に首都からの情報が届かなくなっていたオスマン軍がロシア共和国の首都を包囲したのである。首脳陣は地下壕を通ってコルミロフカに移動。首脳陣が逃げたことが伝わるとロシア共和国軍兵士の指揮は低下し結果的になぜかソ連に対して降伏。ジリジリと撤退していった。

 休戦協定ではクラスノヤルスクまでの領土はソ連編入された。ロシア共和国は首都をできるだけソ連国境から遠ざけたかったためウラジオストクを首都に設定した。そして三国同盟からの脱退を決定。後任に何気に最近領土を広げスエズ運河までを領土としているギリシャ帝国を推薦。ドイツは近隣国が強豪となってしまうため猛反発したが日本とアメリカがスエズ運河の通行権を得ることによる利点が大きかったためドイツの要求を無視。ドイツは三国同盟を抜けることを発表した。がしかし、その後ドイツはギリシャと秘密裏に協定を結んでおり、不可侵条約と侵攻に関する議定書が含まれていた。ここに三国同盟の基礎は崩れていく。